明治16年、神子畑から採掘された鉱石を生野にある精錬所に運ぶために総工費4万円をかけて約16kmの運搬道が造られた。その道の途中には5つの橋がかけられ、現在はこの「神子畑鋳鉄橋」と「羽淵鋳鉄橋」の2つの橋が残されている。
現在、羽淵鋳鉄橋は移築されているが、神子畑鋳鉄橋は当時と同じ場所で保存されている。神子畑鋳鉄橋は神子畑川に架けられており、フランス人技師の指導のもと造られたと言われている。
単径間アーチ橋で、鉄製の橋としては日本で三番目、全てが鋳鉄製の橋としては日本一の歴史を持つ。
1977年には国の重要文化財、2007年には近代化産業遺産にも認定され、現在は駐車場を完備し、歴史が書かれたパネルが設置されている。
また、遊歩道も造られており、実際に鋳鉄橋を渡ることのできるのが最大の魅力だ。100年以上前に造られた鋳鉄橋、ゆっくり歴史を感じながら歩いていただきたい。
明治5年に生野鉱山で造られた外国人技師ムーセの住居宿舎。
コロニアルスタイルという様式で、外観だけでなく内部にも装飾がされている建物で、建物の四方がおしゃれなベランダに囲われている。
明治20年、神子畑鉱山が開発されたことにより、現在の場所に移築した。
移築後は事務舎や医療所として使用されていたという。
平成19年には近代化産業遺産として認定された。現在、中では神子畑選鉱場が稼働していたときの模型や写真を見る事ができる他、写真家の織作峰子氏の写真も展示されている。
また、ムーセ旧居の前には平成8年に兵庫県の郷土記念物として認定されている樹齢約200年の大きな百日紅の木があり、夏になるとキレイな真紅の花が咲き乱れるので、夏に訪れてみるのもオススメ。
休館日: 水曜、年末年始
時 間: 10:00~17:00
入館料: 無料
※鉱石の道神子畑交流館「新選」と同じです。新選から約100m(同敷地内)。
明延鉱山で採掘された鉱石を神子畑選鉱場に運ぶために造られた鉱山鉄道の電車で、正式名称は明神電車。人車も運行され乗客数を把握するため、運賃を一人一円にしていたことから「一円電車」と呼ばれるようになった。
一円という安い運賃で乗ることができる電車ということでマスコミに取り上げられ、瞬く間に全国の鉄道ファンに広まった。一般の観光客も多く押し寄せたことから、一時は乗車禁止になるほどだったという。
現在、神子畑には電気機関車・客車わかば号・グランビー鉱石運搬車の3台が展示されている。特に「客車わかば号」は大人が向かい合って座るためには前の人と足を交差しながら座らないといけなほど小さいのに、定員が17名というのも驚きだ。
また、一円電車の特徴である車両の色は朱色・白色・黄色の三色でポップでかわいいカラーリングになっている。小窓にある手や顔を出さないために造られた鉄格子も健在だ。
神子畑選鉱所前に展示しているので、是非セットで見学してもらいたい。